大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

最高裁判所第二小法廷 昭和61年(オ)644号 判決 1986年7月18日

上告人 吉川達雄 外1名

被上告人 吉川豊信 外1名

被拘束者 吉川文敬

主文

原判決を破棄する。

本件を長崎地方裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人山口米男の上告理由について

原審は、(一) 被拘束者は千葉県に在住する上告人ら夫婦の第二子・長男として昭和49年5月29日に出生したものであるが、上告人らは、家計上の都合により、被拘束者の生後間もないころに、上告人達雄の異母弟であつて、長崎県に在住する被上告人豊信及びその妻である同サトノに養育を委託した、(二)(1)上告人らは、昭和51年被上告人らに対し、被拘束者の返還引渡を求めたが、なお1年育てたいとの被上告人らの意向を酌んでやむなく被拘束者の保育園入園時期までこれを求めないこととした、(2)被上告人らは、昭和53年3月には上告人らに被拘束者をいつたんは引き渡したが、その直後誘拐されたとして警察官を同道し、長崎空港において出発直前の上告人らから被拘束者を取り戻した,(3)上告人らは、その後親戚らに仲介を頼んだりして被上告人らと交渉を繰り返し、被上告人らは、その都度「学齢の1年前まで」、「就学まで」などと被拘束者を返還する旨の約束を反覆し、その趣旨の誓約書まで書いたことがあるにもかかわらず、結局これに応じなかつた、(4)このため、上告人らは、昭和56年被上告人らを被告として長崎地方裁判所佐世保支部に親権妨害等を理由として被拘束者の引渡等を求める訴えを提起し、第一、二審、上告審とも勝訴し、この確定判決に基づき強制執行の申立をするに至つたが、更に円満解決のため、昭和60年1月佐世保簡易裁判所において、被上告人らと、同年3月26日限り被上告人らから被拘束者の引渡を受けること等を内容とする裁判上の和解をした、(5)しかし、被上告人らは、なおも任意の引渡に応じることなく、上告人らが申し立てた右和解調書に基づく強制執行につき停止決定を得たうえ、請求異議訴訟を提起して争う構えを示し、現在に至つている、(三)上告人らは、実子の養育を安易に他に委託した軽率さを真摯に反省し、10年以上も被上告人らにより接触を妨害されてきたにもかかわらず、被拘束者に対する実親としての変わらぬ愛情を抱き続け、法律上正当な親権者として被拘束者を引き取り共に暮したいとの自然な願望が早急に実現されるのを心から待ち望んでいる、(四)被上告人らは、生後間もないころから被拘束者を実子のように慈しみ育ててきたものであるけれども、事実上の監護者にすぎない自己の立場を忘れ、被拘束者に対する愛情に押し流されるまま、被拘束者を上告人らのもとに戻す約束を再三にわたつて反故にし、その間、被拘束者の気持を自己に引き止めたい一心から、日常的に上告人らに対する悪感情をあからさまにする言動をとり、しかも被拘束者に対し、上告人らの真実の姿、心情をゆがめて伝え続け、上告人らに対する不信、恐怖、憎悪の感情をむしろあおってきた、(五)被拘束者は、現在小学校6年生(原審審問終結当時11年10月)であり、成績は優秀で意欲に富み、感情の起伏が激しく自己中心的な面があるものの、性格は明朗であるとの評価を受けており、年齢相応の事理弁識能力に劣る点は見受けられず、被拘束者を溺愛し、これに服従的な対応をしがちな被上告人らのもとで一応安定し、同人らから離れ難く感じている反面、前記の被上告人らの言動に強く影響され、上告人らに対し強く反発して同人らを敵視し、上告人らのもとに連れ戻されることを極度に恐れている、との事実を確定したうえ、被拘束者は自己の生活環境や心身の安定に重大な影響を及ぼす上告人ら、被上告人らのいずれの監護に服すべきかという事項については、十分意思能力を有していると認めるのが相当であるから、歪曲された事実を基礎としているとはいえ、一応は自己の判断と感情に基づいて被上告人らのもとにとどまる意思を表明している以上、被拘束者が被上告人らによつて事実上監護養育されていることをもつて人身保護法にいう拘束に該当するものということはできない、と判断して、上告人らの本件請求を棄却している。

そこで、検討するのに、意思能力のない幼児の監護はそれ自体人身保護法及び同規則にいう拘束に当たると解すべきものであるが(昭和42年(オ)第1455号同43年7月4日第一小法廷判決・民集22巻7号1441頁参照)、幼児に意思能力がある場合であつても、当該幼児が自由意思に基づいて監護者のもとにとどまつているとはいえない特段の事情のあるときには、右監護者の当該幼児に対する監護は、なお前記拘束に当たるものと解するのが相当である(人身保護規則5条参照)。そして、監護権を有しない者の監護養育のもとにある子が、一応意思能力を有すると認められる状況に達し、かつ、その監護に服することを受容するとともに、監護権を有する者の監護に服することに反対の意思を表示しているとしても、右監護養育が子の意思能力の全くない当時から引き続きされてきたものであり、その間、監護権を有しない者が、監護権を有する者に子を引き渡すことを拒絶するとともに、子において監護権を有する者に対する嫌悪と畏怖の念を抱かざるをえないよう教え込んできた結果、子が前記のような意思を形成するに至つたといえるような場合には、当該子が自由意思に基づいて監護権を有しない者のもとにとどまつているとはいえない特段の事情があるものというべきである。

これを本件についてみるに、前記の事実関係のもとにおいては、被拘束者は自己の境遇を認識し、かつ、将来を予測して上告人らと被上告人らのいずれの監護を受け入れることが自らを幸福にするのかという事項について判断を下すに足りる意思能力に欠けるところはないものということができるが、他方、生後間もないころから被上告人らの手元で養育されてきたものであり、その間、被上告人らの上告人ら及び被拘束者に対する対応が前記のとおりであつたというのであるから、前記の説示に照らし、被拘束者が自由意思に基づいて被上告人らのもとにとどまつているとはいえない特段の事情があるものというべく、したがつて、被上告人らが被拘束者を監護する行為は、なお人身保護法及び同規則にいう拘束に当たると解すべきものである。

そして、法律上監護権を有しない者が幼児をその監護のもとにおいてこれを拘束している場合に、監護権を有する者が人身保護法に基づいて当該幼児の引渡を請求するときには、両者の監護状態の実質的な当否を比較考察し、幼児の幸福に適するか否かの観点から、監護権を有する者の監護のもとにおくことが著しく不当なものと認められないかぎり、監護権を有しない者の拘束は権限なしにされていることが顕著であるものと認めて、監護権を有する者の請求を認容すべきものであるところ(最高裁昭和47年(オ)第460号同年7月25日第三小法廷判決・裁判集民事106号617頁、同昭和47年(オ)第698号同年9月26日第三小法廷判決・裁判集民事106号735頁参照)、被上告人らは右にそつた主張をしているものと解しうるから、原審としては、右主張につき判断を加えたうえで上告人らの請求の当否を決すべきものであつたというべきである。しかるに、原審は、右の主張の当否につき判断を加えることなく(原判決が、被拘束者を上告人らのもとにおくことの困難性について説示する部分は、右の判断をしたものと解することはできない。)、被上告人らが被拘束者を監護する行為は人身保護法及び同規則にいう拘束に当たらないと説示したのみで上告人らの請求を棄却したものであるから、原判決は、法令の解釈適用を誤つた結果、理由不備の違法を犯したものというべきである。以上の趣旨をいう論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、叙上の点につき更に審理を尽くさせるため、本件を原審に差し戻すのが相当である。

よつて、人身保護規則46条、民訴法407条1項に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 島谷六郎 裁判官 牧圭次 藤島昭 香川保一)

上告代理人山口米男の上告理由

原判決には判決に影響を及ぼすことが明らかなる法令の違反があり、かつ事実誤認ならびに採証法則に違反し、理由不備、理由齟齬の違法がある。

一(一) 原判決は、上告人らが生後間もない被拘束者(以下文敬)を被上告人らに預けたこと、昭和51年以降再三文敬の引渡しを求めたが、被上告人らは「あと1年育てたい」とか、一旦引渡したものの「誘拐された」と称し警察官を同道して文敬を連れ帰ったこと。以後上告人らは、親戚らの仲介により被上告人らとの交渉をくり返し、その度に「就学1年前まで・・・」「就学まで・・・」などと約束を反復し、誓約書さえ書いたことがあるのに、結局右約束を反古にし、上告人らは万策つきて、昭和56年文敬引渡し訴訟を提起し、一審、二審、上告審とも勝訴し、この確定判決によって強制執行申立てをなしたが、昭和60年1月円満解決のため即決和解が成立した。

しかし、結局被上告人らは、右和解による任意の引渡しにも応ぜず、上告人らがなした右和解に基づく強制執行に対しても、これが執行停止を求めた上、請求異議訴訟を提起して争う構えを示し、現在に至っていること、

(二) 文敬については、成績は優秀であって意欲に富み明朗である反面、感情の起伏が激しく、自己中心的で自分勝手な行動が目立つ面もあることが指摘されていること、被上告人らが、上告人との対立が深まる中で、文敬が自分たちの手を放れることを恐れる余り、常日頃上告人らに対する悪感情をあからさまにする言動をとってきたことに影響され、上告人に対し強く反発敵視していること、上告人らは、苦しい時期に助けてくれた被上告人らに対する感謝の念は失つていないものの、その後の引き取りを巡る再々にわたる約束違反に対し強い不信感を抱いており、文敬が上告人らに対し激しい攻撃性を示していることに深刻な攻撃をうけていること。

以上の事実を認定し、「よって案ずるに」とし

二 (一) 上告人らについては、容易に実子を他人に預託した軽率さは難ずべきところがないとはいえないとしても、現在これを真摯に反省して実の親としての義務を果たすべく、10年以上も被上告人らにより接触を妨害されて来たにも係わらず,実親としての変らぬ愛情を抱き続け、子供を引き取り共に暮したいという自然な願望の早急な実現を心から待ち望んでいること、被上告人らに対し、法律上正当な親権者として文敬の引き取り監護を要求する権利を有すること明らかである、と断定し、

(二) 被上告人らについては、いつかは実親に返さなければならない預り子であることを承知しながら自己の立場を忘れ、文敬に対する愛情に押し流されるまま上告人らに戻す約束を再三にわたって反故にし、結果として文敬が何の戸惑いもなく自然に上告人のもとに返る時期を失しさせてしまったことは被上告人らの重大な落度である、としさらに、

(三) 上告人らが文敬の気持ちを自分らに引き止めたい一心から、その将来の人格形成に及ぼすことあるべき有害な影響に対する配慮を欠いて、上告人らの真実の姿、心情を歪めて文敬に伝え続け、これに対する不信、恐怖、憎悪の感情をむしろ煽ってきたことが、現在の文敬の上告人らに対する異常な反発と攻撃的な対応の基礎となっていることは否定できず、既にこれが感情の起伏が激しく、自己中心的であるなど文敬の性格上の好もしからざる傾向となって固定化する兆しがあるのみならず、他の特定の人間に対する極端な増悪と反感を抱き続けることは成長期にある少年の心を必然的に歪ませ、蝕む病単となり、ことにそれが実親に向けられたものであるときは、極めて複雑かつ激烈な心理的葛藤を不断に強いる結果となり、文敬の優秀な素質の発展と安定した人格的発達を阻害し、本来ならば安らかで実り多かるべきその人生を狂わせ、予測を越えた最悪の方向へと導くおそれさえあるといっても過言ではない。それだけではなく、今後理解力を身につけ、自己の引き取りを巡る争いの実相を知るにつれて、文敬の増しみの念はおそらく実親だけでなく、明確に意識されるかどうかは別として、養親である被上告人らにも向けられる可能性があり、その場合の文敬に生ずる愛情と憎しみの相反する感情がいかに文敬の心を引き裂くことになるかは想像するに難くない、とし

現在の当事者間の無益で犠牲の多い争いの原因の大部分は被上告人らにあるといわざるを得ず、上告人の本件請求は真に正当な契機に基づくものである、と断定する。

三 原審における以上第一、二項における事実認定ならびに判断はまことに正鵠を得たものである。

しかるに原判決は右のような判断をしながら結局「・・・被拘束者は既に満11歳10か月に達し、前叙のとおり小学校での成績も優秀で明朗であり意欲に富んでいるとの評価を受け、年齢相応の事理弁識能力に劣る点は見受けられず、自己の生活環境や心身の安定に重大な影響を及ぼすところの実親、養親のいずれの監護に服すべきかという事項についての判断については、十分意思能力を有していると認められるのが相当であるから、歪曲された事実を基礎としているとはいえ、一応は自己の判断と感情に基いて拘束者らのもとに留まる意思を表明している以上、被拘束者が拘束者らによって事実上監護養育されていることをもつて、人身保護法の規定する拘束に該当するということはできない。」として上告人らの請求を棄却した。

四 原判決は、文敬は満11歳10か月に達していて、右年齢相応の事理弁識能力を有すること、したがって、自己の生活環境や心身の安定に重大な影響を及ぼすところの実親、養親のいずれの監護に服すべきかという事項についての判断については十分意思能力を有する。という。

しかしながら、実親、養親のいずれの監護に服することが自己の将来の生活や心身の安定に幸福をもたらすか、ということを判断するためには、過去の社会、家庭生活環境等から体験したことを基礎として、自分なりに事実を把握し、将来の極めて多種多様な不確定要素をあれこれ考慮して判断すべき事理弁識能力を有しなければならないのである。

満12歳にも達しない子に右のような弁識能力があるとは経験則上到底考えられない。

また、わが民法が養子縁組につき、15歳末満の子については代諾権者の代諾を必要としていること、満15歳以上であってもなおかつ、未成年者については家庭裁判所の許可を必要としている趣旨にも反する。

文敬が満11歳10か月に達しているからといって直ちに文敬に右のような弁識能力ならびに意思能力があるとし、文敬が被上告人らのもとに留まる意思を表明している以上本件は人身保護法の規定する「拘束」にも当たらないとした原判決の判断は経験則に違背し、また法律の解釈を誤ったか、事実誤認の違法がある。

五 長崎大学医学部精神神経科教授医師中根允文の鑑定結果によると、「文敬の、自らの判断で養親のもとに留まるのが自己の将来に幸福をもたらすか、実親のもとに戻るのが幸福かの判断能力の有無」との鑑定事項に対し、「・・・現時点では正当な判断能力を有していないと考える。即ち、現在、文敬が養親の家庭に止まりたいと表明している背景には、養親の意向が強く反映しており、実親の現状について正しく理解されるような状況には置かれていないものと考える。たとえ養親と同程度に実親の現況が知らされたにしても、これまでの養育環境の影響をうけて、これを受け入れ難く、直ちに正当な判断は出来ないであろうと考える。」(鑑定主文二の後段、20頁)と断定している。

原判決が、鑑定の結果から判断能力は無いと明確に認定しうるにかかわらず、右鑑定結果を採用せず、容易に文敬に弁識能力、意思能力があるとし、その意思により被上告人らのもとに留まることを表明しているから、「拘束」に当たらないと判断している点、また、原判決が、右鑑定結果を採用しない以上、これを排斥する理由を明示すべきであるのにその理由の明示がない点において原判決の判断は証拠にもとづかず、採証方則違反ならびに理由不備の違法がある。

六 原判決は「・・・歪曲された事実を基礎としているとはいえ,一応は自己の判断と感情に基づいて拘束者らのもとに留まる意思を表明している以上被拘束者が拘束者らによって事実上監護養育されていることをもって人身保護法の規定する拘束に該当するということはできない。」という。

そして、右歪曲された事実とは被上告人らが「・・・・・・被拘束者の気持を自分らに引き止めたい一心から、その将来の人格形成に及ぼすことあるべき有害な影響に対する配慮を欠いて、請求者らの真実の姿、心情を歪めて被拘束者に伝え続け、これに対する不信、恐怖、憎悪の感情をむしろ煽ってきた・・・」ことから形成されたものである、と認定する。

本件について、文敬が被上告人のもとに留まる意思を表示したのは、右のような歪曲された事実を基礎としてのものである。

このような歪曲された事実を基礎としての判断は、到底正常な弁識能力による判断とはいいえない。結局文敬には正常な弁識能力はなかったというべきである。

しかるに原判決が、文敬につき弁識能力があったとし本件監護養育が人身保護法にいう「拘束」に当たらないとした判断には事実誤認または法律の解釈を誤った違法がある。

七 人身保護法にいう「拘束」とは、本件のような場合、監護養育する法律上の権利がない者が、弁識能力あるいは意思能力なき者を、自己の支配下におくか、一応の意思能力があっても、拘束者がその実力をもって、その支配下におくことをいうと解すべきである。そしてここに意思能力とは、原判決がいう自己の生活環境や心身の安定に重大な影響を及ぼすところの実親、養親のいずれの監護に服することが自己の幸福につながるかの

そして、拘束者の実力的支配の下に置くという意味は、物理的方法によってその支配下に置く場合のみならず、精神的影響による支配すなわち請求者に対する反感、恐怖、憎悪の念をうえつけるなど精神的方法によって、請求者を回避させ、結局自己のもとに留まるようにしてその支配下に置くことをも含むと解すべきである。

原判決は、文敬に上告人らの真実の姿、心情を故意に歪めて伝え続け、上告人らに対する不信、恐怖、憎悪の感情をうえつけて、上告人らに対し反発と攻撃的態度をとらしめている(すなわち被上告人らの実力的支配に置いていること)と認定しながら結局本件拘束が人身保護法にいう「拘束」に該当しないと結論している。

右は「拘束」についての法律の解釈を誤ったか、理由齟齬または理由不備の違法がある。

〔参照〕原審(長崎地 昭60(人)3号 昭61.4.25判決)

主文

一 本件請求を棄却する。

二 手続費用中鑑定に要した費用はこれを二分し、その一を請求者らの、その一を拘束者らの各負担とし、その余は請求者らの負担とする。

事実及び理由

一 請求者らは、「被拘束者を釈放する。手続費用は拘束者らの負担とする。」との判決を求め、請求の原因として別紙一のとおり述べ、証拠として甲第1ないし第8号証を提出し、鑑定人中根允文による鑑定の結果を援用した。

拘束者らは、主文第一項と同旨の判決を求め、別紙二のとおり主張し、甲号各証の成立はすべて認める旨述べたうえ、自らも証拠として右鑑定の結果を援用した。

二 よって検討するに、前掲各証拠及び弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

1 請求者らは夫婦であり、被拘束者は両名の第二子(長男、第一子は長女薫子)として昭和49年5月29日出生したものであるが、請求者らの家計上の理由から母親である請求者悦子が看護婦の仕事を辞めるわけにいかなかったため、生後間もない被拘束者を請求者達雄の実弟(異母弟)である拘束者豊信とその妻である拘束者サトノに預けた。

2 拘束者ら夫婦は、拘束者サトノが昭和48年6月ころ流産して以来実子はなく、預かった被拘束者の養育に力を注ぎ、これを育て上げた。

3 昭和51年、請求者らは被拘束者の返還引渡を拘束者らに求めたが、拘束者らはあと1年育てたいとの意向を表明し、請求者らはやむなくこれに応じた。次いで、昭和53年3月、請求者らは被拘束者を保育園に入園させる手続を取ったうえでこれを引き取りにおもむき、拘束者らはいったんは請求者らに被拘束者を戻すことを承諾したものの、請求者らが被拘束者を伴って長崎空港から出発しようとしたとき、「子供が誘拐された」と称して警察官を同道し、被拘束者を連れ帰ってしまった。

4 この事件を契機にして請求者らと拘束者らとの感情的対立が深まり、以後請求者らは親戚らの件介を頼んだりして拘束者らと交渉を繰り返し、拘束者らは、その度に「学齢の1年前まで。」、「就学までには。」などと約束を反復し、誓約書さえ書いたことがあるにも係わらず、結局これに応じることなく、請求者らは万策尽きて昭和56年長崎地方裁判所佐世保支部に被拘束者の引渡等を求める訴訟を提起し、第一、二審、上告審ともに勝訴し、この確定判決による強制執行申立にまで至ったが、昭和60年1月、円満解決のため佐世保簡易裁判所に即決和解の申立をなし、同月九日拘束者らとの間で、「同年3月26日限り被拘束者を引き渡す。右引渡をしないときは、拘束者らは請求者らに対し1日1万円の割合による金員を支払う。」旨の和解が成立した。しかし、結局拘束者らは任意の引渡に応じることなく、請求者らが申し立てた右即決和解に基づく強制執行の停止を得たうえ、請求異議訴訟を同支部に提起して争う構えを示し、現在に至っている。

5 現在被拘束者は小学校6年生であり、成績は優秀であって意欲に富み、明朗であるとの評価を受けているが、他方、感情の起伏が激しく、自己中心的で自分勝手な行動が目立つ面もあることが指摘されている。

被拘束者は、これを溺愛し服従的な対応をしがちな拘束者らのもとで一応安定し、これから離れ難く感じている反面で、拘束者らが請求者らとの対立が深まる中で、被拘束者が自分たちの手を放れることを恐れる余り、常日頃請求者らに対する悪感情をあからさまにする言動を取ってきたことに強く影響され、請求者らに対し、「子を捨てて家を買った。」などと強く反発敵視し、連れ戻されることを極度に恐れている。

請求者らは、苦しい時期に助けてくれた拘束者らに対する感謝の念を失ってはいないが、その後の引き取りを巡る再々にわたる約束違反のため拘束者らに対して強い不信感を抱いており、現在被拘束者が自分たちにかくも激しい攻撃性を示していることに深刻な打撃を受けている。

三 よって案ずるに、

1 家計上の都合というだけで容易に実子を他に預託した軽率さは難ずるべきところがないとはいえないものの、請求者らが、現在これを真摯に反省して実の親としての義務を果たすべく、10年以上も拘束者らにより接触を妨害されてきたにも係わらず、実親としての変わらぬ愛情を抱き続け、子供を引き取り共に暮らしたいという自然な願望の早急な実現を心から待ち望んでいることは到底これを否定することはできず、もとより、拘束者らに対し、法律上正当な親権者として被拘束者の引き取り監護を要求する権利を有することは明らかである。

2 他方、法的には何ら根拠のない事実上の監護者にすぎないとはいえ、生後間もないころから被拘束者を実子のようにして慈しみ育て上げた拘束者らが、自分たちこそ被拘束者を理解し実親も及ばぬ愛情を抱いていると自負し、それゆえ被拘束者との別離を耐え難く感じていることもまた十分理解することができる。

しかし、拘束者らが、何時かは実親に返さなければならない預かり子であることを承知しながら自己の立場を忘れ、被拘束者に対する愛情に押し流されるままに、請求者らに戻す約束を再三にわたって反故にし、結果として被拘束者が何らの戸惑いもなく自然に請求者らのもとに返る時期を失しさせてしまったことは拘束者らの重大な落度といわざるをえない。

また、拘束者らが、被拘束者の気持を自分らに引き止めたい一心から、その将来の人格形成に及ぼすことあるべき有害な影響に対する配慮を欠いて、請求者らの真実の姿、心情を歪めて被拘束者に伝え続け、これに対する不信、恐怖、憎悪の感情をむしろ煽ってきたことが、現在の被拘束者の請求者らに対する異常な反発と攻撃的な対応の基礎となっていることは否定できず、既にこれが、感情の起伏が激しく、自己中心的であるなど、被拘束者の性格上の好もしからざる傾向となって固定化する兆しがあるのみならず、他の特定の人間に対する極端な憎悪と反感を抱き続けることは成長期にある少年の心を必然的に歪ませ、蝕む病巣となり、ことにそれが実親に向けられたものであるときは、極めて複雑かつ激烈な心理的葛藤を不断に強いる結果となり、被拘束者の優秀な素質の発展と安定した人格的発達を阻害し、本来ならば安らかで実り多かるべきその人生を狂わせ、予測を越えた最悪の方向へと導くおそれさえあるといっても過言ではない。それだけではなく、今後理解力を身につけ、自己の引き取りを巡る争いの実相を知るにつれて、被拘束者の憎しみの念はおそらく実親だけでなく、明確に意識されるかどうかは別として、養親である拘束者らにも向けられる可能性があり、その場合の被拘束者に生ずる愛情と憎しみの相反する感情がいかに被拘束者の心を引き裂くことになるかは想像するに難くないことである。

3 以上のとおり、現在の当事者間の無益で犠牲の多い争いの原因の大部分は拘束者らにあるといわざるをえず、請求者らの本件請求は真に正当な契機に基づくものというべきである。

しかしながら、被拘束者は既に満11歳10か月に達し、前叙のとおり小学校での成績も優秀で明朗であり意欲に富んでいるとの評価を受け、年齢相応の事理弁識能力に劣る点は見受けられず、自己の生活環境や心身の安定に重大な影響を及ぼすところの実親、養親のいずれの監護に服すべきかという事項についての判断については、十分意思能力を有していると認めるのが相当であるから、歪曲された事実を基礎としているとはいえ、一応は自己の判断と感情に基づいて拘束者らのもとに留まる意思を表明している以上、被拘束者が拘束者らによって事実上監護養育されていることをもって人身保護法の規定する「拘束」に該当するということはできない。

のみならず、現在の前叙のような心理状態のままで被拘束者を請求者らのもとに戻しても、既に年齢相応の判断力と行動力を備えた被拘束者を今後物理的に引き留めておく困難さは容易に想定できることであって、仮に引き留めることができたとしても、相当な期間、被拘束者に極度の心身の不安定と精神的な苦痛をもたらすことは必定で、請求者らに対する反発からどのような不測の事態を招来するやも知れず、かえって請求者らに対する憎悪を増幅し、まだ残されている意思疎通の道を永遠に閉ざしてしまうおそれが大きく、被拘束者の福祉にもそわない。

4 よって、請求者らの本件請求はこれを棄却せざるをえず、人身保護法16条1項、17条を適用して、主文のとおり判決する。

四 なお付言するに、本件請求についての叙上の判断は拘束者らによる監護養育を法律上正当なものとして是認するものではないことは言を待たず、拘束者らは自己の行為が被拘束者の真の幸福と安定にとって如何に有害なものであったかを真摯に自覚反省すべきである。

当裁判所は、拘束者ら及び請求者らの双方が今後、相互に対する非難の応酬に終止符を打ち、現時の感情に流されるままに任せて将来の見通しを放擲した無責任な子供の争奪劇を演じることを止め、ことここに至ったという不幸な現実を冷静に考え直し、これを踏まえたうえで、ただ被拘束者の将来のみを案じて、最も適切妥当な解決策を協力して模索し、これより先被拘束者が精神的肉体的に成長していく過程において、今までの自己を巡る深刻な対立の中で歪められてきた実親及び養親のありのままの姿を客観的に見極め、偏見に囚われない自主的な判断に基づいて自らと実親及び養親の関係を適切に整合させていく手助けをする努力を尽くすことを切に希望する。

別紙一

請求の原因

一 被拘束者は請求者ら夫婦の長男であり、拘束者吉川豊信は請求者吉川達雄の母違いの弟、拘束者吉川サトノはその妻である。

二 請求者ら夫婦は、被拘束者出生後3か月位の折、理由あって拘束者ら夫婦に被拘束者の保育を依頼した。

その後請求者らは右委託を解除し、再三被拘束者の引渡を求めたが、拘束者らはその都度引渡の約束をしながら、請求者らを騙し騙しして引き延ばし、昭和53年11月12日には、双方立会人を立て、誓約書を入れながら、またその後保育謝礼として金50万円の交付を受けながら、遂に引渡を履行しないため、請求者らは、昭和56年8月、長崎地方裁判所佐世保支部に幼児引渡の訴を提起し、右訴はその後福岡高等裁判所、最高裁判所において審理され、いずれも請求者ら勝訴の判決があり、右判決は昭和59年9月28日上告棄却により確定した。

そこで請求者らは、同年11月ころ、右判決の執行力ある正本に基づき強制執行(間接強制)の申立てをした。

三 右強制執行事件は裁判所の和解勧告があり、昭和60年1月9日、即決和解により次のとおり成立した。

(1) 拘束者らは請求者らに対し、昭和60年3月26日午後2時、拘束者ら方において被拘束者を引き渡す。

(2) 右引渡をしないときは、拘束者らは引渡済に至るまで1日1万円を請求者らに支払う。

請求者らは、右引渡期日に拘束者ら方に赴いたが、拘束者らは「玄関先で渡すという約束だから、ここから中には入るな。」と称し、玄関扉から先には一歩も入れず、かつ、「文敬は千葉に行くことを嫌がっている。」と称して請求者らを被拘束者に直接会わせることを頑強に拒否し、遂にその引渡を得ることができなかった。

四 拘束者らは、被拘束者がその自由意思で請求者ら方に戻ることを拒否していると主張しているが、拘束者らは被拘束者の保育依頼を受けて現在まで既に10年以上も経過し、その間拘束者をして拘束者らを「パパ、ママ」その後は「お父さん、お母さん」と呼ばせ、手元に置いて養育しており、請求者らに対する悪意、中傷、偏見を植えつけて監護していることが窺える。すなわち、

(1) 被拘束者は、生後間もなくから約10年以上もの間拘束者らの影響下に置かれている。

(2) その間請求者らが会いに行っても素直に会わせようとはせず、請求者らがなにもしていないのに、また被拘束者が別段怖がってもいないのに、ことさらに被拘束者を強く抱き締めて「恐くない、恐くない。」、「助けてやる。」などと繰り返し、その雰囲気で却って被拘束者が泣きだしたようなことも一度ではない。

(3) 日常の生活において、被拘束者に対する叱り言葉の中で「悪いことをすると千葉にやるぞ。」などと言って叱っていた。

(4) 請求者らが送った靴下、衣類などを、「悪いおじさんがくれた。」と言って、被拘束者に鋏で切り裂かせていた。

(5) 甲第7号証は、前記即決和解事件に際し拘束者らから書証として提出されたものであるが、当時わずか10歳ほどの子供が、自発的にこのような手紙をNHKなどに書くとは考えられず、また、その内容においても、3歳当時のことなど拘束者らが教えなければ被拘束者には分かる筈のないことがらや請求者らに対する悪意が数多く記載され、被拘束者が自己の意思で自己の考えを記載したものとしては極めて不自然さと歪みを感じさせ、大人の行為が強く感じられる。

(6) それまで拘束者らや被拘束者と親しく交際していた親戚の吉川俊雄や高村弘六らも、被拘束者引渡の仲介に入って以後は、拘束者ら方を訪問しても、被拘束者に閉め出されたうえ、「来るな、上がるな。」、「なぜ来たか、早く帰れ。」などと言われるようになり、これは拘束者らが被拘束者をそのように教育しているとしか考えられないと、同人らは供述している。

以上の事実状態の下においては、仮に被拘束者が11歳の児童として平均以上の知能や判断力を有しているとしても、被拘束者自身が、養親と実親とのいずれの元で監護養育を受けるのが、自己の現在及び将来にとって真の幸福につながるかという微妙で不確定的要素の多い問題について、その自由な意思に基づいて、的確に自己の考えを形成し、これを表示することができる能力を有しているとは、とうてい考えられない。

五 請求者らは被拘束者の親権者であり、被拘束者の監護権を有する。そして、拘束者らは請求者らの右親権を侵害して被拘束者を手元に留めている以上、それ自体で、その監護方法の当不当、またはそれが愛情に基づくものかどうかに係わりなく、人身保護法2条、同規則4条にいう「拘束」に該当する。

六 拘束者らは、前記訴訟以来、被拘束者は拘束者らの手元に置かれる方が幸福であると主張しているが、拘束者らはもともと監護権を有しないのであるから、被拘束者をどちらに監護させるのが幸福であるかの考慮は本来不要であるが、仮にそうでないとしても、請求者達雄は富士電機製造株式会社に勤務し、請求者悦子は千葉労災病院の看護婦で、両者合わせて平均月収約60万円である。請求者らの長女薫子は市原八幡高校に通学し、素直に成長しており、一家3人社会人としての常識を備え、近隣、知人との交際上の紛争もなく、円満平穏な家庭を営み、経済的にも余裕のある生活を送っている。

一方拘束者らの被拘束者に対する前記中傷、悪意、偏見などの躾を考えると、被拘束者の成長過程における歪んだ精神形成が憂慮され、これに鑑みれば、引渡後しばらくはいくばくかの被瀾が予想されるとしても、被拘束者の福祉幸福にとっては結局は請求者らの庇護の下に置くことがより適切というべきである。

七 以上の次第で、被拘束者は拘束者らによる不当違法な拘束状態の下にあって、かつ、それが顕著な場合に該当するというべきである。

よって、人身保護法2条、同規則4条により、請求の趣旨のとおりの判決を求める。

別紙二

一 被拘束者については、拘束者ら夫婦は生後60日目位から現在まで11年間余にわたり育てており、被拘束者もすっかり家族の一員で、拘束者ら夫婦の子供として成長してきた。

被拘束者は実親と拘束者らとの間の引渡の紛争をよく知っており、既に11歳に達して十分に判断力を備え、実親との関係をどうすべきか考えた末、自分はどうしても現在の親が本当の親と思うし、実親は自分を捨てて育てようとはしなかったので本当の親とは思わない、死んでも今の家を離れたくないとの決意(自由意思)であり、昭和60年3月26日の引き取りの際にも、請求者らが一緒に千葉へ行こうと全力で説得しても、「千葉へは帰らない。」と言って部屋に鍵をかけてしまったような状態である。

二 拘束者ら夫婦はやるべきことは全てやり、引渡の義務は尽くしたが、請求者らは子供の説得に失敗してしまい、結局被拘束者を連れ帰ることができなかった。被拘束者が千葉へ帰らないのは被拘束者自身の自由意思によるものであり、拘束者らは被拘束者を拘束してはおらず、請求の原因に記載されたところは事実に反する。即決和解調書作成のとき、簡易裁判所裁判官から、引渡に関し最大限の可能な行為を尽くせば良いのではないかと言われ、そういうことで和解調書が作成された。拘束者らは請求者らを自宅内へ入れ、事実上引渡を終えた状態となった。しかし、子供を連れて行くのは請求者らの仕事であり、拘束者らが口をはさむ余地はなかった。

現在の被拘束者は既に立派な少年の域に達しており、事の成り行きは知っており、以前にも請求者らやその他の人々が暴言や荒々しい態度で自宅に押し掛けてきたりしていたので、請求者らを非常に怖がっており、このような状態で被拘束者が請求者らの家に行くことは、どんな力をもっても不可能である。

三 被拘束者は「死んでも千葉へは行かない。」と言っており、拘束者らにはどうすることもできない。裁判所からどのように言われても、拘束者らには力が及ばないし、どうすることもできないので、宜しくお願い致します。

四 このたび、請求者らは、前記和解調書の違約金の条項により、拘束者豊信の勤務先の給与を差押えたが、拘束者らは違約はしておらず、請求者らが被拘束者の説得に失敗したために引き取りができなかったものであり、違約金の請求は不当である。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例